新原・奴山古墳群
新原・奴山古墳群は、宗像地域〔ちいき〕を支配〔しはい〕した豪族〔ごうぞく〕、宗像氏〔むなかたし〕が作った古墳群〔こふんぐん〕だよ。宗像氏は、沖ノ島でおまつりを行い、やがて宗像三女神〔むなかたさんじょしん〕をまつるようになったと考えられているよ。
どうしてそんなことがわかるの?
この古墳群がある福津市〔ふくつし〕のほかの古墳から、沖ノ島で見つかった鏡と全く同じものが見つかったりしているんだ。
それに、『古事記〔こじき〕』や『日本書紀〔にほんしょき〕』という日本で一番古い歴史〔れきし〕の本に、宗像氏が三女神を三か所(沖ノ島、大島、九州本土のこと)でまつっていると書かれているんだよ。
じゃあ、宗像氏が宗像大社を作って、そのおかげで今まで三女神の信仰が続いてきたのね。
遠くに見える島は大島かしら?
そう! 古墳群からは今も沖ノ島がある玄界灘〔げんかいなだ〕の海が見えるし、古代にはすぐ近くまで海が入りこんできていたんだ。海だったところは、今では田んぼになっているよ。
宗像大社辺津宮のまわりと同じね。海と関わりの深い人たちだから、お墓〔はか〕も海の近くに作ったのかしら。
たくさんの古墳があるんだね。丸いのが多いけど、形も色々だ。
およそ1600~1400年前ごろの約200年間に作られた、合計41基〔き〕の古墳が丘〔おか〕の上に集まっているよ。丸い円墳〔えんぷん〕が35基、正方形の方墳〔ほうふん〕が1基、そして上から見るとカギ穴〔あな〕のような形をした、前方後円墳〔ぜんぽうこうえんふん〕という古墳が5基あるんだ。
知ってる! すごく大きな前方後円墳が、関西〔かんさい〕のほうにたくさんあるのよ!
そう、大和朝廷〔やまとちょうてい〕(大和政権〔やまとせいけん〕・ヤマト王権〔おうけん〕)の大王〔おおきみ〕(のちの天皇〔てんのう〕)のお墓も前方後円墳だね。この形は、大和朝廷と関係のある有力者だけが作ることのできた、特別なものだと考えられているんだよ。