沖ノ島 の古代祭祀
島の中腹〔ちゅうふく〕の、大きな岩がたくさんあるところで、1000年以上も昔のおまつりのあと(祭祀遺跡〔さいしいせき〕)が22か所も発見されたんだ。
古代の人は、岩の中に神様がいると思ったのかな?
そうね。沖津宮〔おきつみや〕の建物もこれらの大きな岩の間にあるなんて、大事な場所は今も昔も変わらないのね。
1955年から島で調査〔ちょうさ〕が行われて、神様におそなえされた、多くの貴重〔きちょう〕な宝物〔たからもの〕が発見されたんだ。宝物の種類〔しゅるい〕も、500年以上にわたる時代の変化とともに、だんだんと変わっていったことがわかったんだよ。
沖ノ島の宝物は全部が国宝〔こくほう〕なんだって!
九州本土の辺津宮〔へつみや〕にある、宗像大社神宝館〔むなかたたいしゃしんぽうかん〕で見ることができるのよね!
1.岩上祭祀遺跡〔がんじょうさいしいせき〕
(4世紀後半〔よんせいきこうはん〕~5世紀>〔およそ1650~1550年前〕:古墳時代〔こふんじだい〕)
一番古い遺跡〔いせき〕は岩の上にあるんだ。その岩のすき間に、ていねいに宝物が並〔なら〕べられていたんだよ。
大きな岩の上に、石で四角く囲〔かこ〕った祭壇〔さいだん〕のようなものも発見されているよ。
2.岩陰〔いわかげ〕祭祀遺跡
(5世紀後半~7世紀〔およそ1550~1400年前〕:古墳時代~飛鳥時代〔あすかじだい〕)
次に古い遺跡は、大きな岩の陰〔かげ〕の部分にあるんだ。海外からもってこられた宝物が多いよ。危険〔きけん〕な海をこえて海外と交流をしていた古代の人たちは、こうした宝物をおそなえして神様にいのったんだね。
3.半岩陰・半露天〔はんいわかげ・はんろてん〕祭祀遺跡
(7世紀後半~8世紀前半〔およそ1350~1300年前〕:飛鳥時代)
この時代の遺跡は、岩から少しはなれてきて、おまつりに使われた物もだいぶ変わってくるんだ。このころの日本では、「大化の改新〔たいかのかいしん〕」など大きな改革〔かいかく〕が行われていて、おまつりのやり方も変化したと考えられているんだ。
4.露天〔ろてん〕祭祀遺跡
(8世紀~9世紀〔およそ1300~1100年前〕:奈良時代〔ならじだい〕~平安時代〔へいあんじだい〕)
この遺跡は岩からはなれた平らな場所にあって、とても多くの土器などが残されているんだ。定期的におまつりがくり返されていたことが分かるよ。
やり方は変わっても、1000年以上も前から現代〔げんだい〕まで、ずーっとおまつりが行われ続けているのね!
イランで作られたカットグラスみたいに、外国からはるばる運ばれてきた大切な宝物が、沖ノ島ではたくさん見つかったんだ。
沖ノ島は、「海の正倉院〔しょうそういん〕」とも呼〔よ〕ばれているんだよ。
しょうそういん? 何それ?
奈良の東大寺にある、古代の宝物がたくさん伝えられてきた倉庫のことよ!
その通り。すごいね、ミキちゃん