
沖ノ島 の古代祭祀
島の中腹〔ちゅうふく〕の、大きな岩がたくさんあるところで、1000年以上も昔のおまつりのあと(祭祀遺跡〔さいしいせき〕)が22か所も発見されたんだ。


古代の人は、岩の中に神様がいると思ったのかな?

そうね。沖津宮〔おきつみや〕の建物もこれらの大きな岩の間にあるなんて、大事な場所は今も昔も変わらないのね。

1955年から島で調査〔ちょうさ〕が行われて、神様におそなえされた、多くの貴重〔きちょう〕な宝物〔たからもの〕が発見されたんだ。宝物の種類〔しゅるい〕も、500年以上にわたる時代の変化とともに、だんだんと変わっていったことがわかったんだよ。

沖ノ島の宝物は全部が国宝〔こくほう〕なんだって!

九州本土の辺津宮〔へつみや〕にある、宗像大社神宝館〔むなかたたいしゃしんぽうかん〕で見ることができるのよね!

1.岩上祭祀遺跡〔がんじょうさいしいせき〕
(4世紀後半〔よんせいきこうはん〕~5世紀>〔およそ1650~1550年前〕:古墳時代〔こふんじだい〕)
-
17号遺跡 -
三角縁神獣鏡〔さんかくぶちしんじゅうきょう〕
鏡〔かがみ〕は古くから日本ではおまつりに使われました。沖ノ島からは、70面以上の鏡が見つかっています。 -
21号遺跡 -
鉄鋌〔てってい〕
鉄の素材〔そざい〕で、これをもとに剣〔けん〕や農具などが作られました。当時の日本列島では鉄がとれなかったため、朝鮮〔ちょうせん〕半島からもちこまれた貴重〔きちょう〕なものでした。
一番古い遺跡〔いせき〕は岩の上にあるんだ。その岩のすき間に、ていねいに宝物が並〔なら〕べられていたんだよ。
大きな岩の上に、石で四角く囲〔かこ〕った祭壇〔さいだん〕のようなものも発見されているよ。

2.岩陰〔いわかげ〕祭祀遺跡
(5世紀後半~7世紀〔およそ1550~1400年前〕:古墳時代~飛鳥時代〔あすかじだい〕)
-
巨岩の右が7号遺跡、左が8号遺跡。 -
金製指輪〔きんせいゆびわ〕
金で作られた指輪です。朝鮮半島の王様のお墓〔はか〕などからも、よく似〔に〕た形の指輪が見つかっています。 -
カットグラス碗片〔わんへん〕
「彫刻〔ちょうこく〕で模様〔もよう〕をつけたガラスのおわんのかけら」です。遠くペルシア(イラン)で作られたものです。 -
金銅製歩揺付雲珠〔こんどうせいほようつきうず〕
馬のおしりの上につけたかざりです。朝鮮半島で作られたものと考えられています。
次に古い遺跡は、大きな岩の陰〔かげ〕の部分にあるんだ。海外からもってこられた宝物が多いよ。危険〔きけん〕な海をこえて海外と交流をしていた古代の人たちは、こうした宝物をおそなえして神様にいのったんだね。

3.半岩陰・半露天〔はんいわかげ・はんろてん〕祭祀遺跡
(7世紀後半~8世紀前半〔およそ1350~1300年前〕:飛鳥時代)
-
5号遺跡(調査〔ちょうさ〕の時に見つかった土器をならべ直した様子) -
金銅製龍頭〔こんどうせいりゅうとう〕
龍〔りゅう〕の頭をかたどったもので、中国で作られたと考えられています。さおの先に取りつけて、口から出た金具からかさなどをつり下げるためのものです。 -
金銅製雛形五弦琴〔こんどうせいひながたごげんきん〕
「金でメッキをした銅〔どう〕でできた、弦〔げん〕が5本の琴〔こと〕のミニチュア」です。琴は神様に関係する特別な楽器でした。 -
唐三彩長頸瓶片〔とうさんさいちょうけいへいへん〕
「唐三彩〔とうさんさい〕でできた、くびの長いビンのかけら」です。唐三彩とは、唐という中国の王朝で発明された、三色の色のついた陶器〔とうき〕のことで、当時の世界最先端〔さいせんたん〕の製品〔せいひん〕です。
この時代の遺跡は、岩から少しはなれてきて、おまつりに使われた物もだいぶ変わってくるんだ。このころの日本では、「大化の改新〔たいかのかいしん〕」など大きな改革〔かいかく〕が行われていて、おまつりのやり方も変化したと考えられているんだ。

4.露天〔ろてん〕祭祀遺跡
(8世紀~9世紀〔およそ1300~1100年前〕:奈良時代〔ならじだい〕~平安時代〔へいあんじだい〕)
-
1号遺跡 -
奈良三彩小壺〔ならさんさいこつぼ〕
奈良三彩〔ならさんさい〕とは、唐三彩の技術〔ぎじゅつ〕をもとに、日本の奈良で作られた三色の陶器です。大島の御嶽山〔みたけさん〕からも、同じものが見つかっています。 -
滑石製〔かっせきせい〕人形〔ひとがた〕・舟形〔ふながた〕・馬形〔うまがた〕
滑石〔かっせき〕というやわらかい石を人や馬、船の形にしたものです。大島の中津宮〔なかつみや〕(御嶽山)や九州本土の辺津宮〔へつみや〕(下高宮〔しもたかみや〕)からも、同じものがみつかっています。 -
有孔土器〔ゆうこうどき〕
穴〔あな〕の空いた土器です。液体〔えきたい〕を入れるとこぼれてしまうので、実際〔じっさい〕に食事などに使うのではなく、おまつりのために作られたものだと考えられています。
この遺跡は岩からはなれた平らな場所にあって、とても多くの土器などが残されているんだ。定期的におまつりがくり返されていたことが分かるよ。

やり方は変わっても、1000年以上も前から現代〔げんだい〕まで、ずーっとおまつりが行われ続けているのね!

イランで作られたカットグラスみたいに、外国からはるばる運ばれてきた大切な宝物が、沖ノ島ではたくさん見つかったんだ。
沖ノ島は、「海の正倉院〔しょうそういん〕」とも呼〔よ〕ばれているんだよ。


しょうそういん? 何それ?

奈良の東大寺にある、古代の宝物がたくさん伝えられてきた倉庫のことよ!

その通り。すごいね、ミキちゃん

