宗像大社辺津宮
いにしえから受け継がれる
宗像三女神信仰の中心地
辺津宮は福岡県宗像市の釣川沿い「田島」と呼ばれる地区にある宗像大社の三つの宮の一つで、宗像三女神の一柱、市杵島姫神を祀っています。釣川沿いの旧入り海に突き出た丘陵上の下高宮祭祀遺跡を起源として、その麓に社殿が造営されていきました。海や川との関わりの深い三女神をまつる本土の信仰の場として、宗像大社の神事の中心となっています。
鳥居をくぐり、参道を進むと、神門の向こうに本殿があらわれます。社殿は、遅くとも12世紀までに築かれたことが分かりますが、戦乱などにより度々失われました。最後に焼失したのは弘治3年(1557)で、天正6年(1578)に大宮司宗像氏貞によって本殿が再建されました。氏貞は跡継ぎがないまま亡くなり、大宮司家は途絶えますが、天正18年(1590)に九州に転封された小早川隆景によって拝殿が再建されました。その後は、福岡藩主黒田氏によって代々修理費用が賄われ、時代が変わっても、信仰は途切れることなく現在まで続いています。本殿・拝殿は国の重要文化財に指定されています。
本殿・拝殿の周りには、辺津宮の末社(本社に付属する小さい神社)が並んでいます。これらは延宝3年(1675)に第3代福岡藩主黒田光之によって、宗像郡内の末社が集められ、合わせて祀られたものです。現在もこの時に造営された末社の社殿が残っています。
社殿の横の道をぬけ、背後の宗像山へ階段を昇って行くと、高宮祭場があらわれます。高宮祭場は辺津宮の起源となる古代祭祀の場、下高宮祭祀遺跡の一部で、信仰上極めて重要な場所です。高宮祭場の北西側には、釣川や大島、玄界灘を見渡すことができ、海を介した沖ノ島とのつながりを物語ります。 高宮祭場から降りてくると、二つの社殿がみえてきます。中世の辺津宮境内には、第一宮、第二宮、第三宮という三つの主要なお宮がありました。現在の辺津宮の本殿・拝殿は、もともと第一宮の社殿でした。その本殿・拝殿の背後に位置しているのが現在の第二宮、第三宮です。第二宮に沖津宮の田心姫神、第三宮に中津宮の湍津姫神が祀られています。現在の第二宮、第三宮社殿は、第60回式年遷宮(昭和48年)に際して、伊勢神宮の別宮の古殿舎が下賜されたものです。本殿・拝殿だけでなく、第二宮、第三宮にも参拝することで、宗像三女神の三柱にお参りしたことになります。
辺津宮と入海
宗像市を流れる釣川の中下流域と福津市に広がる勝浦潟(桂潟)は、かつて入海でした。
山々からのいくつもの支流が合わさって玄界灘へ注ぐ釣川は、古代から今日まで宗像地域の水源であり、人々の暮らしは川の流れと共にありました。釣川が入海であったことは、『日本書紀』において「海浜」と書いて辺津宮のことを指していることからも窺われます。中世の宗像大社には海や川を介した神事が数多くあり、最大の神事の一つである放生会の「船闘(ふなくらべ)神事」では、鐘崎・神湊・勝浦浜・津屋崎といった宗像の漁村から供進された神船に神輿を載せて、釣川で競漕させていました。
「神郡」宗像
『古事記』『日本書紀』の神話において、宗像三女神は「海北道中(かいほくどうちゅう)」の「道主貴(みちぬしのむち)」、つまり宗像地域から朝鮮半島へ向かう海域を守る神とされます。
宗像地域(福岡県宗像市・福津市)はかつて宗像郡と呼ばれ、歴史的に一体的な地域でした。古代の律令制では、国家にとって特に重要な神社の所在する地域が「神郡」となりましたが、宗像郡は全国で8つしかない「神郡」の一つに定められたのです。
宗像地域には、各集落を守る氏神として数多くの宗像大社の末社が存在しています。中世には、宗像郡内に75
の末社が存在していました。宗像地域では、宗像大社と集落の神社(氏神)、二つの神社の氏子を兼ねている場合も多く、境内の清掃や神社の祭礼行事に参加するなど、日々の暮らしの中で神社を大切に守り続けています。
宗像大社と氏子
「氏子」とは、氏神の鎮座する土地に住み、その守護を受け、それを祀る人々のことです。つまり氏子は、神への篤い信仰心のもとでつながる深い絆を持つ集団といえます。宗像大社の氏子には次のようなエピソードがあります。
昭和12(1937)年、沖ノ島に軍の砲台建設の話が持ち上がり、氏子総代が中止を求める上申書を書いて国へ申し立てをしました。そこには「神域を軍用に利用するならまずは神様のご意思を尊重しなさい。」といった内容が記されていました。また氏子の一人が当時の宮司に「身を賭して沖ノ島を守れ」と電報を送り、それに応えるように神職たちも陳情書を上申しています。
氏子青年会元会長の小林正勝さんによれば、氏子青年会は沖津宮の清掃活動や秋季大祭の高宮神奈備祭などの祭りに携わっていて、祭りを軸に地域の活性化を図りたいと考えているそうです。世界遺産登録に向けた活動も同じだ、と小林さんは続けます。「地域の誇り、とでも言うんですかね。自分たちが守ってきたものが、世界遺産登録というカタチで集約できればいいかなと思っています」
周辺スポット
宗像大社神宝館
三角縁神獣鏡や金製指輪、金銅製龍頭など8万点に及ぶ沖ノ島祭祀遺跡から出土した奉献品(全て国宝)が収蔵・展示されています。また、中世の宗像大宮司家の繁栄を伝える古文書、皇室や福岡藩主などの敬神の念をしのばせる奉納品を始めとして、宗像大社の神宝が数多く展示されています。
住所/福岡県宗像市田島2331番地(宗像大社辺津宮境内)
電話/0940-62-1311(代)
ファックス/0940-62-1315
開館時間/9時~16時30分(最終入館16時)
休館/年中無休
入場料/大人800円 高・大学生500円 小・中学生400円
※20人以上及び満65歳以上は200円引きとなります。
世界遺産ガイダンス施設海の道むなかた館
辺津宮の北側にある海の道むなかた館は、遺産群の世界遺産としての価値と魅力を伝える展示・解説施設です。大型スクリーンや3D映像によって、立ち入ることのできない沖ノ島を体感することができます。また、様々な体験学習やイベントも開催されています。
住所/福岡県宗像市深田588番地
電話/0940-62-2600
ファックス/0940-62-2601
開館時間/9時~18時
休館日/月曜日(月曜が祝日の場合は翌平日)
年末年始(12月29日~1月3日)
入館料/無料
鎮国寺
神仏習合の時代、宗像大社の神宮寺(神社に付設された寺院)として建立された真言宗の寺院です。宗像三女神、織幡明神、許斐権現の本地仏(5体とも県指定文化財)が安置されています。
辺津宮から徒歩約10分(770m)
桜京古墳
六世紀に築造された全長40mの前方後円墳で、石室には石棚とそれを支える石柱があります。数少ない装飾古墳で、石柱と石室の奥壁に赤、緑、白の彩色が施されています。(石室の見学はできません)
西鉄バス「宗像大社前」から「神湊入口」まで乗車(約4分)
「神湊入口」から徒歩約10分または
辺津宮から徒歩25分(2043m)
(承福寺)宗像氏貞の墓
最後の大宮司(宗像大社の神官の最上位)である宗像氏貞の墓です。氏貞は第一宮本殿(現辺津宮本殿)を再興するなど数多くの功績を残しました。
遙拝所から徒歩46分(3730m)
織幡神社
古代には式内社に列せられ、宗像郡内では宗像大社に次いで朝廷からの崇敬が篤かった神社です。中世には辺津宮の神事に参加し、宗像大社の重要な末社の1つとなりました。
西鉄バス「東郷駅前」から「鐘崎車庫」まで乗車(約30分)
「鐘崎車庫」から徒歩約10分
お問い合わせ先・リンク
宗像大社 |
|
---|---|
宗像市の観光ガイド | |
宗像市の世界遺産について |
|