世界遺産への道57 ≪宗像大社辺津宮の境内(古代・中世編)≫

古代・玄界灘を舞台に、日本と大陸の航海交流の要衝として信仰が生まれた宗像大社。その信仰は現在も続いています。3回シリーズで紹介する国指定史跡「宗像神社境内」。最終回の今回は古代・中世です。

 

中国で作られた1対の「宋風狛犬」

中世を知る資料は、国重要文化財指定の『宗像神社文書(もんじょ)』や『阿弥陀経石』などがあり、宗像大社神宝館に展示保管されています。その中でも、宋(中国)から渡来した「宋風狛犬(こまいぬ)」には、建仁元年(1201年)第三宮に奉納されたことが記されています。当時、第三宮は、江戸時代に辺津宮本殿の裏に移されるまで、現在の第三宮の釣川側にありました。

画像:宋風狛犬
中国で作られた「宋風狛犬」

人々の信仰を今も感じる高宮祭場

『日本書紀(720年)』に辺津宮の記述があり、「海濱」と書いて「へつみや」と読ませています。これは、宗像大社周囲が、古代は入海だったためと考えられています。まだ社殿もない時代の辺津宮は、高宮祭場付近にあったようです。江戸期に書かれた『筑前國続風土記拾遺』に、「高宮は、土器の破片が甚だ多く、古代の祭器が残る」と記され、実際に沖ノ島での露天祭祀(さいし)遺跡と同様の祭祀遺物がここから出土していたことが分かります。このように高宮祭場は、古代から続く人々の信仰を感じることができるパワースポットなのです。

画像:復元整備された高宮祭場の風景
昭和の御造営で復元整備された高宮祭場